廣教寺について
about KOUKYOUJI TEMPLE
『一法山 清浄院 廣教寺』(以下、廣教寺)は、広島市中心部に位置する寺院で、法然上人が開宗された浄土宗を宗旨とし約450年の歴史を持ちます。広島に投下された原爆によって本堂含め全山焼失するも、昭和45年に18世住職と檀信徒の尽力により再建され、現在に至ります。
1559年(永禄2年)
天蓮社青譽圓心上人により永禄2年、開基。
1606年(慶長11年)
京都黒谷『金戒光明寺』(浄土宗 大本山)第21世、源蓮社性譽法山上人によって開山。
不詳
御泉水(現在の縮景園)に廣教寺があったとの伝承がある。
1619年(元和5年)
浅野長晟公、広島入城の際に現在の橋本町に移転となる。
1945年(昭和20年)
原子爆弾により全山焼失。仏像・過去帳・宝物等が灰燼に帰す。
1946年(昭和21年)
戦災都市の復旧のために制定された戦災復興土地区画整理事業に基づき、
廣教寺の境内地は約半分となる。
1970年(昭和45年)
第18世 田部元清上人と檀信徒の尽力により現在の本堂を建立。
本尊として浄土宗特別寺院『誕生寺』より阿弥陀如来像を迎える。

2002年(平成14年)
田部雅道上人が廣教寺 第19世住職として晋山。
第18世 田部元清上人が遷化される。
2017年(平成29年)
法灯継承式を執り行い、現在の住職(第20世)が晋山。

2024年(令和6年)
廣教寺のホームページ・公式LINEを開設。

山門をくぐると、市内中心部の喧噪を忘れる庭園が広がっています。
山門横には掲示板も設置しております。

本尊の阿弥陀様を祀る戦後に再建された本堂内は全て椅子席となっており、冷暖房も完備しております。

境内にある薬師堂は、病気平癒を願う方々の参拝されます。
縁起につきましては薬師堂の紹介ページをご覧ください。

静かにたたずむ摂取不捨の水子観音は、あらゆる水子を救済して極楽往生へと導く観音さまです。

山門から入るとまず目に入るのが廣教寺の六地蔵です。横には縁起の石碑がございます。

境内墓地は、落ち着いた空間で故人を偲ぶ場となっています。
廣教寺歴代上人のお墓、無縁墓も境内墓地内にあります。

多くの方にお参り頂く合同永代供養墓は後継者のいない方にも安心を提供しています。

大切な家族であるペットの供養・納骨も行える合同墓が六地蔵の横にございます。